あらゆる過酷な環境でも正確な時を告げる。
現在BALL Watchはスイスに拠点を置いていますが
誕生した地であるアメリカにおいてのヒストリーを
今日はご紹介させていただきたいと思います。
簡潔に纏めようと思いましたが、BALL Watchを愛用している皆様、
ご興味を持っていただいている皆様にその全てをお伝えしたく
長文となりますがお読みいただけますと幸いです。
BALL Watchの創業者であるウェブ・C.ボールは1847年10月6日、
オハイオ州フレデリックタウンに誕生しました。
1883年に標準時が導入され、ワシントンの海軍天文台によって
時報が行われるようになると、ボールはこの時報を利用して時刻を合わせ
クリーブランドに正確な時間を導入した最初の宝石商となりました。
そして1891年、ボールは、湖岸鉄道の監督検査官に任命されます。
この時に彼が考案した湖岸鉄道の時計検査システムは
やがて全米の75%、総延長175,000マイル以上をカバーするようになり
膨大なボール検査ネットワークの幕開けを告げるものでした。
彼はまた同システムをメキシコやカナダにも広めました。
アメリカ鉄道産業の成長は、時計産業の発展に大きく貢献しました。
人や物資の移動に鉄道が利用される以前は
厳密な時間管理や標準時などは不要でした。
アメリカでは南北戦争以降に鉄道システムが
重要な位置を占めるようになった後でさえ、
その土地ごとのローカル・タイムが使われ続けていました。
1883年にようやく鉄道各社がアメリカ全土を4つの時間帯に分け
標準時を採用することで合意に達しました。
人々はすぐに標準時システムに従いましたが
興味深いことにアメリカ議会が正式にこれを認可したのは
1918年になってからでした。
1891年4月19日、速達郵便列車である「No.4」が
湖岸サザンミシガン鉄道を西からオハイオ州キプトンに向け走行していました。
一方、アコモデーション号の機関士と車掌は
クリーブランドから25マイル離れたエリリアで
その郵便列車をキプトンで先に通すように指令を受けていました。
アコモデーション号の車掌はエリアを出発してから
キプトンで郵便列車に衝突するまでの間、
ポケットから時計を取り出して時間の確認を全くせず、
もう一人の機関士が郵便列車に注意を払っているものだと思っていました。
しかし、その機関士が当日持っていた時計は
何らかの理由で4分間遅れており、このことが生死を分けることになったのです。
エリリアとキプトンの間にはいくつかの駅がありましたが
機関士の時計が遅れていた為、目的地まで十分な時間があると
勘違いしてしまい列車はゆっくり走行していました。
この時、車掌自身も時計を確認していれば
この衝突事故は避けられたのかもしれません。
その直後、アコモデーション号はフルスピードで走って来た
郵便列車とキプトンで衝突し大破しました。
両列車の機関士が死亡し、6名の乗務員が大破炎上した
郵便列車の犠牲となって命を落としてしまったのです。
この事故を機に、湖岸鉄道の当局者はウェブ・C.ボールに
同鉄道の全線にわたって「時間と時計」の状況を調査させ
それらを正確に運用するためのシステムを開発するよう要請しました。
ウェブ・C.ボールは早速、車掌、機関士、駅係員等の鉄道事業で
使用されている全ての時計を優秀な時計職人の手によって検査させました。
そして、標準時との誤差が30秒以上ある時計に関しては
調整を義務付ける等、数多くの規定を設けました。
ボールが考案したシステムが重要な意味を持ち
賞賛に値するものだったかはそれが広範囲の地域で
初めて成功したシステムだったことからもわかります。
鉄道時間の基礎を築いたのはボールであり
これにより正確で統一された時間管理が確立されたのです。
どのような状況でも正確な時間が求められる鉄道時間と鉄道時計。
その「スタンダード」として認められているのは
まさにボールのシステムだったのです。
一般の旅客が鉄道員に時刻を訊ねた時に
鉄道員の答えた時刻が正確だと確信するようになったのもボールのお陰なのです。
人々の一瞬一瞬の判断が世界を動かしているこの現代社会でも
創業時の鉄道員と同じように誰もが正確な時間管理を必要としています。
東京店/猪俣